大友黑主
大友黑主(日语:〔〕/ Otomo no Kuronushi,生卒年不詳)是平安時代的歌人。姓村主,亦称大伴黑主。六歌仙中的一人。官位为从八位上[1]、滋賀郡大領。《續日本後紀》中称他们一族为汉献帝的后裔[2]。
代表和歌
- 春さめのふるは涙か桜花散るを惜しまぬ人しなければ(古今集88)
- 思ひいでて恋しきときははつかりのなきてわたると人知るらめや(古今集735)
- 鏡山いざたちよりて見てゆかむ年へぬる身は老いやしぬると(古今集899。左註に黒主の歌かとする説を記す)
- 近江のや鏡の山をたてたればかねてぞ見ゆる君が千歳は(古今集1086)
- 白浪のよする磯間をこぐ舟の梶とりあへぬ恋もするかな(後撰集670)
- 玉津島深き入江をこぐ舟のうきたる恋も我はするかな(後撰集768)
- 何せむにへたのみるめを思ひけん沖つ玉藻をかづく身にして(後撰集1099)
- 我が心あやしくあだに春くれば花につく身となどてなりけむ(拾遺集404)
- さく花に思ひつくみのあぢきなさ身にいたつきの入るも知らずて(拾遺集405)
系譜[3]
- 父:大友列躬
- 母:不詳
- 養父:大友豊足
- 妻:不詳
- 子:大友吉継
- 子:大友弟上
- 子:大友道守
脚注
- 『勅撰作者部類』では五位とする。
- 《続日本後紀》:後漢献帝苗裔也
- 鈴木真年『百家系図』巻9,大友村主
参考文献
- 太田亮《姓氏家系大辞典》角川書店,1963年
- 宝賀寿男《古代氏族系譜集成》古代氏族研究会,1986年
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