宣仁親王妃喜久子

宣仁親王妃喜久子(1911年(明治44年)12月26日-2004年(平成16年)12月18日),婚前名德川喜久子,是大正天皇第三皇子高松宮宣仁親王的妻子。德川家出身。

宣仁親王妃喜久子

生平

喜久子誕生於明治44年,父親是公爵德川慶久,末代幕府大將軍德川慶喜的七男;她的母親是實枝子女王,有栖川宮威仁親王的第二王女,靈元天皇的直系後代。1930年,喜久子與宣仁親王結婚,兩人沒有任何子女。[1]1968年她創建高松宮妃癌研究基金,致力於癌症的治療研究。1987年宣仁親王去世。

2001年愛子内親王出生,引發日本皇位繼承關於女性繼承權的討論。喜久子曾對此發表言論,認為「由女性擔任天皇不是不自然的事情」[2][3]2004年喜久子於東京去世,年92歲。

參考

  1. 昭和5年宮内省告示第5号(『官報』第929号、昭和5年2月5日)
  2. 『婦人公論』平成14年2月号。
  3. 2001年(平成13年)当時は第125代天皇の孫世代に男子がいなかった。喜久子は女性天皇を念頭に置いており、いわゆる「女系天皇」の概念の登場は喜久子の薨去後である(当該項目を参照)。
  • 威仁親王行実編纂会. . 威仁親王行実編纂会. 1926. NDL 43052156.
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