小合溜井
概要
小合溜井是1729年(享保14年)在德川吉宗指示下,為了治水與調整灌溉用水,由紀州藩出身的井澤彌惣兵衛所建造的溜井[2][3][4]。「溜井」是為了確保用水而堵河形成的用水池[5]。
小合溜井後來成為東葛西領50多町村的水源,因此又稱「水元」[2][6]。
現在的小合溜井葛飾區側整備為水元公園,三鄉市側整備為三鄉公園。雖然是東京都與埼玉縣的縣界,但兩方尚未完成邊界劃定[4][7][8]。
1991年(平成3年)3月15日,小合溜井指定為準用河川[4]。
註釋
- 添田直人. (PDF). 日本レジャー・レクリエーション学会: 28–31. 2009-11 [2018-06-29]. (原始内容存档 (PDF)于2018-06-29).
- 都会の水郷 水元公園 (页面存档备份,存于) - 東京都公園協会、2015年11月15日閲覧。
- 中川・綾瀬川の歴史 (页面存档备份,存于) - 国土交通省水管理・国土保全、2015年11月17日閲覧。
- (PDF). 内閣府政策統括官: 133–134. 2010-01 [2017-11-03]. (原始内容存档 (PDF)于2017-11-07).
- 大石学『地名で読む江戸の町』p.218。
- 『角川日本地名大辞典』。
- . 小学館(NEWSポストセブン). 2012-11-06 [2018-06-24]. (原始内容存档于2018-06-24).
- 東京の領土問題? (页面存档备份,存于) - 株式会社ヤマウラコンサルタント(土地活用ドットコム)、2015年11月15日閲覧。
- 水元さくら堤 (页面存档备份,存于) - 葛飾柴又寅さん記念館(かつまるガイド)、2018年6月24日閲覧。
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