市原王
經歷
天平11年(739年)起,任寫經司舍人。天平15年(743年),官階升至從五位下。聖武天皇時,經写一切経所長官,並兼任玄蕃頭、備中守。天平18年(746年)後,歷任金光明寺造佛長官、造東大寺司知事,擔任大佛營造的監督者。天平感宝元年(749年),聖武天皇在東大寺行幸之際,把他升至從五位上。
- 天平宝字7年(763年)中,卒去並引退。
官歷
系譜
- 父:安貴王
- 母:紀小鹿
- 妻:能登內親王(光仁天皇皇女)
- 男子:春原五百枝(760-830)
- 女子:五百井女王(?-817)
參考文獻
- 大森亮尚「志貴皇子子孫の年譜考 ~ 市原王から安貴王へ ~」『萬葉』121号、萬葉学会、1985年3月
- 『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年
- 宇治谷孟『続日本紀』(中下巻)講談社学術文庫、1995年
脚注
- 大森[1985: 13]
- 『万葉集』巻3-0412,巻4-0662,巻6-0988,1007,1042,巻8-1546,1551,巻20-4500
- 《大日本古文書》
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