日本國鐵KiHa40系柴聯車
日本國鐵KiHa40系柴聯車(日语:)是日本國有鐵道于1977年啟用的柴聯車,後來由後繼的各JR公司使用於郊区和农村地区。 [1]其它使用者尚有會津鐵道、道南漁火鐵道、錦川鐵道。緬甸仰光也使用部分原KiHa40系柴聯車。
日本國鐵KiHa40系柴聯車 | |
---|---|
KiHa 40 136 急行「えりも」(襟裳)(1986年) | |
概覽 | |
製造 | 富士重工、新潟鐵工所 |
車輛總數 | 888 |
製造年份 | 1977-1983 |
技術數據 | |
車輛長度 | 21,300mm |
車體 | 2,900mm |
轨距 | 1,067mm |
車體材質 | 鋼 |
營運速度 | 95km/h |
設計最高速度 | 120km/h |
驅動裝置 | 液力傳動 |
制動方式 | 氣軔 |
簡介
1977年推出的KiHa40系柴聯車是用以取代全国郊区和农村地区使用的老舊KiHa10型柴聯車。[2]在1977年至1982年之间共制造888辆,大致分为三型: KiHa 40 , KiHa 47和KiHa 48 。 後來JR各公司各自進行了改裝。 [3]
类型 | 駕駛台数量 | 車门形式 | 子类 | 設計使用区域 | 厕所 |
---|---|---|---|---|---|
KiHa 40 | 2 | 单扇 | -100 | 北海道(极寒) | 有 |
-500 | 冷 | ||||
-1000 | 暖 | 無 | |||
-2000 | 有 | ||||
KiHa 47 | 1 | 对開 | -0 | 暖 | 有 |
-500 | 冷 | ||||
-1000 | 暖 | 無 | |||
-1500 | 冷 | ||||
KiHa 48 | 1 | 单扇 | -0 | 暖 | 有 |
-300 | 北海道(极寒) | ||||
-500 | 冷 | ||||
-1000 | 暖 | 無 | |||
-1300 | 北海道(极寒) | ||||
-1500 | 冷 |
冷暖氣空調装置
暖氣系統由裝置在車室底下的熱交換器,使用引擎的冷卻水加熱空氣,無須在車廂內安排複雜的管線,構造簡單;容量為30,000 kcal/h,比使用煤油爐的暖氣系統容量更大。但是在原始設計並沒有裝置冷氣,因為當時認為對於本型車預定使用的地方路線尚不需要裝置冷氣,而所使用的DMF15HSA引擎雖然比DMH17型出力增加約兩成,但車重也增加了,相較之下出力不足,不管是由引擎直接驅動冷氣設備或加裝發電機,都會造成困擾。[注 1]
對於性能的批評
由於車體加大與設備增加,與先前的柴油客車相比本型車車重增加,但引擎出力相對低下,招致對性能的批評。[4][5][6][7][8]。其所欲取代的KiHa10型車重約28至32噸,而KiHa45型車重33噸,KiHa24型34.5噸;KiHa47-0型車重35.5至35.6噸(車長21.3公尺,一端有駕駛室,並且有廁所與兩組車門與寒帶設施),KiHa40-100型車重為36.8至37.6噸(全長21.3公尺,兩端有駕駛室,並且有廁所與兩組車門與極寒帶設施),相較之下車重多了一到兩成,而所使用的連續出力220匹馬力的引擎,在10-55公里時速下,輪周張力高了15-45%。[9]因此重量出力比與KiHa10型與KiHa20型等裝配一部引擎的車輛相似,遠不及裝有兩部引擎的KiHa51與KiHa52型,結果新型車輛的行駛性能低下,無法改善行駛排點。[4][5][6][7][8]。
本型車的速度種別設定是普通列車的「停氣F1」,在千分之25的上坡均衡速度是26 km/h。[10]在電化區間中,本型車相較於其他車輛的低下加速性能,對於排點來說是個挑戰。就算在平坦的非電化區間,也很難跟使用裝有兩部引擎的車輛行駛的列車配合排點。[注 2]
DMF15HSA引擎的耗油量為185 g/PS/h,等同1940年代 - 50年代之間開發的DMH17系的水準(190 g/PS/h),[注 3] ,但與後來採用的康明斯NTA855-R1(JR形式DMF14HZA)燃油直噴引擎的 154 g/PS/h相比大為不及。[注 4][6][7][16] 此外變速機的設計換檔速度過高,平常營運時行駛時使用液聯位的時間拉長,效率更加不彰。[6]另外,DMH17型引擎為了避免過熱,限制全力運轉以五分鐘為限,但是DMF15HSA引擎沒有這個限制,實際營運時引擎經常長時間全力輸出,耗油量更是增加。
日本國鐵车型
以下是为日本國鐵製造的車型。 [3]
KiHa 40-100
- KiHa 40-101–250(150辆)
500番台
東北地方之寒地向型號。
- KiHa 40-501–594(94辆)
KiHa 40-1000
- KiHa 40-1001–1007(7辆)
2000番台
關東以西之暖地向型號,1979年(昭和54年)開始製造。
- KiHa 40-2001–2148(148辆)
0・1000番台
暖地向型號,使用金屬彈簧懸掛。0番台車設有洗手間,1000番台不設洗手間。
- KiHa 47-1–193(193辆)
- KiHa 47-1001-1134(134辆)
500・1500番台
寒地向型號,使用空氣懸掛。500番台車設有洗手間,1500番台不設洗手間。
- KiHa 47-501–522(22辆)
- KiHa 47-1501–1521(21辆)
KiHa 48-0
- KiHa 48-1–6(6辆)
KiHa 48-300
- KiHa 48-301–304(4辆)
KiHa 48-500
- KiHa 48-501–559(59辆)
KiHa 48-1000
- KiHa 48-1001–1004(4辆)
KiHa 48-1300
- KiHa 48-1301–1303(3辆车)
KiHa 48-1500
- KiHa 48-1501–1550(50辆)
JR北海道
在1987年4月JNR私有化和拆分之后, JR北海道接收157辆KiHa 40型(150辆KiHa 40和7辆KiHa 48)。 截至2010年4月1日 JR北海道共有153辆KiHa 40型车辆,分类如下。 [3]
- KiHa 40-300
- KiHa 40-330
- KiHa 40-350
- KiHa 40-400
- KiHa 40-700
- KiHa 40-1700
- KiHa 48-1300
- KiHa 400-100
- KiHa 480-300
- KiHa 480-1300
JR东日本
在1987年4月JNR私有化和拆分之后, JR東日本接收了219辆KiHa 40型(117辆KiHa 40,28辆KiHa 47和74辆KiHa 48)。 截至2010年4月1日,JR East使用159辆KiHa 40型,分类如下。 [3]KiHa 48 502和KiHa 48 1512在2011年 3月11日的2011 年东北地震和海啸中出轨并严重受损而停用。此外有些車輛改裝成「愉快列車」,用作觀光特別列車使用。
- KiHa 40-500
- KiHa 40-1000
- KiHa 40-2000
- KiHa 47-0
- KiHa 47-500
- KiHa 47-1000
- KiHa 47-1500
- KiHa 48-500
- KiHa 48-1500
- 重新粉刷成旧國鐵塗裝的KiHa 40 1003,2011年1月。
- 2011年海啸后的KiHa 48 502和KiHa 48 1512
- 故鄉號,2007年11月。
JR東海
在1987年4月JNR私有化和拆分之后, JR東海接收59辆KiHa 40型(14辆KiHa 40,5辆KiHa 47和40辆KiHa 48s)。 到2010年4月,JR東海仍使用59辆KiHa 40型, [3]但已於2016年停用。
- KiHa 40-3000
- KiHa 40-3300
- KiHa 40-5000
- KiHa 40-5500
- KiHa 40-5800
- KiHa 40-6000
- KiHa 40-6300
- KiHa 47-5000
- KiHa 47-6000
- KiHa 48-3500
- KiHa 48-3800
- KiHa 48-5000
- KiHa 48-5300
- KiHa 48-5500
- KiHa 48-5800
- KiHa 48-6000
- KiHa 48-6300
- KiHa 48-6500
- KiHa 48-6800
JR西日本
在1987年4月JNR私有化和拆分之后, JR西日本接收了257辆KiHa 40型(63辆KiHa 40,189辆KiHa 47和5辆KiHa 48)。截至2010年4月1日 JR西日本使用255辆KiHa 40型车辆,分类如下。 [3]有些車輛改裝成觀光特別列車使用。
- KiHa 40-3000
- KiHa 41-2000
- KiHa 47-2000
- KiHa 47-2500
- KiHa 48-3000
- KiHa 48-3500
- キハ40 2007 津山鉄道部一人車色・舊塗装(1997年)
- キハ47 3001 朱色(1997年)
- キハ47形朱色(2009年8月26日)
- キハ47 146(2007年3月14日)
- キハ47 10(2007年1月6日 浜坂駅)
- キハ40-2091 「はばタン」列車
- キハ40 2136 忍者小靈精主題車 (A) (2013年6月25日 高岡站)
- リバイバル急行「ちどり」キハ48 4(2013年9月7日 三次駅)
- キハ47 1036 みまさかノスタルジー
(2016年4月10日) - キハ40 2134 みまさかノスタルジー塗装
(2017年1月22日) - キハ47 1036 みまさかノスタルジー国鉄急行色
JR四国
在1987年4月JNR私有化和拆分之后, JR四国共接收53辆KiHa 40型(11辆KiHa 40和42辆KiHa 47)。 截至2010年4月1日 JR四国仍有43辆KiHa 40型車輛,分类如下。 [3]有些車輛改裝成觀光特別列車使用。
- KiHa 40-2000
- KiHa 47-0
- KiHa 47-500
- KiHa 47-1000
- KiHa 47-1500
JR九州
在1987年4月JNR私有化和拆分之后, JR九州接收了142辆KiHa 40型(36辆KiHa 40和106辆KiHa 47)。 截至2010年4月1日,JR九州仍有140辆KiHa 40型车辆,分类如下。 [3]有些車輛改裝成觀光特別列車使用。
- KiHa 40-7000
- KiHa 40-8000
- KiHa 47-3500
- KiHa 47-4500
- KiHa 47-5000
- KiHa 47-6000
- KiHa 47-8000
- KiHa 47-8500
- KiHa 47-9000
- KiHa 47-9500
- KiHa 140-2000
- KiHa 147-0
- KiHa 147-1000
- 隼人之風,2022年1月。
- 指宿之玉手箱,2011年2月
- 2015年10月的Aru Ressha
其他國家
从2011年至2016年,来自JR东日本、JR北海道 、JR四国和JR東海的48辆KiHa40型车(包括KiHa 40,KiHa 47和KiHa 48)送往缅甸使用於仰光環形铁路 [17]。
参考文献
- Haraguchi, Takayuki. . Japan: Sekai Bunka. 2009: 126–127. ISBN 978-4-418-09905-4.
- [JR Rolling Stock Handbook 2009]. Japan: Neko Publishing. 2009: 461–470. ISBN 978-4-7770-0836-0.
- Japan Railfan Magazine. 缺少或
|title=
为空 (帮助) - 湯口徹 『日本の内燃動車』 成山堂書店 交通ブックス21 2013年、p.117
- 曽根悟 「地方線区用車両の技術考」(鉄道ジャーナル年鑑「日本の鉄道」別冊『'87最新第三セクター鉄道』 pp.96 - 101)
- 曽根悟 「ディーゼルカー 用途拡大の可能性」(『鉄道ジャーナル』1990年5月号 (No.283) pp.83 - 87)
- 鉄道ジャーナル編集部 「国鉄 - JR 特急型気動車30年のあゆみ」(『鉄道ジャーナル』1990年5月号 (No.283) pp.72 - 75)
- 『鉄道ピクトリアル』1993年2月号 (No.571) p.23
- 旧北海道鉄道学園『キハ40系ディーゼル動車』,第223頁.
- 『鉄道ジャーナル』1993年11月号 (No.325) p.66
- 『鉄道ピクトリアル』1993年2月号(No.571)p.37
- 湯口徹 『日本の内燃動車』 成山堂書店 交通ブックス121 2013年、p.99・115
- 湯口徹 『日本の内燃動車』 成山堂書店 交通ブックス121 2013年、pp.99・103・114 - 122
- 早川陽司 「JR東海と『カミンズエンジン』」(『鉄道ジャーナル』1990年5月号 (No.283) pp.70-71 )
- 湯口徹 『日本の内燃動車』 成山堂書店 交通ブックス121 2013年、pp.114 - 129
- 湯口徹 『日本の内燃動車』 成山堂書店 交通ブックス121 2013年、pp.117・125 - 127
- Diesel Railcars from Japan (页面存档备份,存于)
- 連続定格出力150 - 180 PSと非力なDMH17系機関が標準だった国鉄気動車では、バスと同様の機関直結式冷房装置を採用することは困難であり、当初より冷房装置を搭載した特急形気動車では一部車両に大型のディーゼル機関による発電セットを搭載して4 - 5両単位で給電を行うシステムを、のちに冷房を追加した急行形気動車で 一部車両にコンパクトな発電ユニットを搭載して3両単位での電力供給を行うシステムを採用しており、本形式のベースとなったキハ66系も同様の冷房システムと当時の近郊形電車と同様の集中式冷房装置を搭載していた。
- 1990年代当時、根室本線釧路以東の快速列車は、バス路線との対抗上キハ54形基準の比較的速いダイヤ設定としていたところ、車両数の都合でキハ40形が運用に入る便のみは遅いダイヤ設定とされていたという例[11]などがある。
- 1951年(昭和26年)の製品化時点で既に技術的に立ち遅れた機関であった[12]が、大幅な改良はほとんどなされないまま長期間にわたって生産・使用が続けられ、世界水準との落差は著しいものになっていた[13]。
- カミンズNTA855-R1などは、原設計は決して新しいものではなく保守的な設計であるが、自動車や建機向け等として豊富な採用実績があり、その中で出力・燃費・環境性能・信頼性についても改良が進んでいた[6][14][15]。鉄道関連以外の国内メーカーにも小松SA6D125等があったが、国鉄時代には採用の動きは全くなかった[15]。湯口徹は、車両開発を所管した国鉄工作局が、気動車用エンジンにこうした実績のある外部専門メーカーの技術を採用せず自主開発に固執し、著しい停滞を招いたとして批判している[15]。