满洲灵庙

满洲灵庙是一座位于满洲国奉天市日莲宗寺庙。它的建设始于1934年(康德元年)[1],完成于1938年(康德5年)[2][1][3],祭祀为满洲国服务而战死或病死的人。[4][5]当时的地址为奉天市八幡町6丁目[4],现地址为沈阳市皇姑区岐山中路11号[6]

满洲灵庙
东殿(日光殿)
基本
国家 滿洲國
位置满洲国奉天市八幡町6丁目
今中国辽宁省沈阳市皇姑区岐山中路11号
坐标41°49′11.1″N 123°25′6.9″E
宗教佛教
宗派日莲宗
建筑详情
开山时间康德3年(1936年)
废寺时间康德12年(1945年)
地圖
日式仿唐建筑
沈阳市文物保护单位
所在皇姑区岐山中路11号辽宁省公安厅家属宿舍院内
分类近现代重要遗迹及代表性建筑
时代1936年
编号第3批第51号
登录2008年10月27日

至1938年,建成的建筑有日光殿(东殿)与日本僧堂。[3][2]日本战败后,该寺庙辗转被多个单位使用,现存建筑为东殿[2],现在所在场地被出租使用,保护状况较差[7]

历史

1932年,日本关东军控制了满洲地区,以清朝末代皇帝溥仪为国家元首,建立了满洲国

1933年,前日本陆军军官、日莲宗僧人西冈大元发起倡议建设一座寺院,以彰显东亚精神运动。[4]该提议获得满洲国政府支持[8],获得政府拨给的土地约6万平方米[4],以及一些来自于附近陵墓的建筑材料[9]。满洲灵庙奉赞会于奉天建立,在日本大阪设有分会。[5]奉赞会的主要成员有满洲国重要人物郑孝胥张景惠谢介石和日本陆军中将楠山又助(滨面又助)、小矶国昭、海军中将小林省三郎以及西冈大元。[5]大阪分会曾经在日本发售明信片以募集资金。[10]

1934年9月,西冈大元主持动工仪式。[1]至1938年12月,灵庙日光殿(东殿)与日本僧堂落成。[3]

1945年日本战败,原本有计划建筑西大殿,当时仅完成地基。[6]日本人撤离,寺庙空置。此后几年间寺庙建筑辗转被福利院、沈阳孤儿小学、读书会和道德会、民德小学等单位使用。[2]

1950年,中国共产党沈阳市皇姑区区委曾在此地办公。5月底,区委迁出,改为民盟东北总支部。民盟迁入后,将大殿作为礼堂使用,地下室作为伙房。原僧堂作为办公室。[2]

1954年,东北大区党政机构撤销,民盟东北总支部也随之解散。此地交由民盟辽宁省委员会管理。同年,民盟与辽宁省公安厅对换,辽宁省公安厅接收此地。[2]

1984年起,此地为辽宁省公安厅的老干部活动中心所有。2007年,老干部活动中心搬出,此地作为仓库闲置几年后,出租给他人使用。[7]

建筑

依据日本日莲宗文献记载,建筑风格融合了日本、满蒙的风格[4],但实际上非常接近当地的寺庙建筑风格,日本风格并不明显[6]

现存大殿高约20米[11],原本为金黄色琉璃瓦顶,现已改为翠绿色。大殿底座长30米,宽23米,汉白玉栏杆,殿身周围有22根大红漆柱。殿内北角有楼梯通往地下室,地下室高约3米,有多个小隔间。僧堂有房间59间。[2]

供奉人物

满洲灵庙供奉为满洲国而战死或病死的人物[5],包括日本人[5]和中国人[6],大多并非名人[6]

当时在春秋两季会有学生被组织到寺庙参加祭祀活动。[7]

参考文献

  1. 近代日蓮宗年表編集委員会. . 同朋舎. 1981-01. ISBN 978-4810402414 (日语). 昭和9年9月9日 ・・満洲霊廟地鎮式を修す。昭和13年12月25日 ・・開教師西岡大元 日満殉国霊追悼のため奉天に日光寺を建立す。
  2. 宋晓秋. . 皇姑文史资料(沈阳出登字第520号) (政协沈阳市皇姑区文史委员会).
  3. 影山 尭雄. . 日蓮宗新聞社. 1989-01. ISBN 978-4890451012 (日语). 昭和13年10月24日・・ 身延山は奉天の満洲霊廟(日満蒙三国英霊合祀所)日光殿日本僧堂の本尊として身延釈迦堂安置の釈尊像と七面山の鏡を奉じて法要を営み、これを満州に送る。昭和13年12月25日・・ 奉天の西岡大元は、満洲霊廟と日本僧堂との落成式を挙ぐ。
  4. 坂輪宣政. (PDF). (原始内容存档 (PDF)于2018-03-07) (日语). このように宗門で開教司監部の建設に苦心している一方で、元陸軍士官の日蓮宗僧侶西岡大元師は、奉天八幡町六丁目に「宗門に偏しないパンテオン」を建立しつつあった。一萬八千坪を「満国皇帝から無償で下賜」されて日満蒙三国風の寺院を一所に建立する、という内容であった。「東亜精神運動としての満州霊廟」の建設を目標としていた。軍との繋がりによるのであろう、広大な土地を無代で下賜され、材料もかっての陵墓由来のものを提供されて豪華な三種の寺院を建立していたのである。ここには神保管長も親教の際に訪問し、「その偉容に目を見はった」と表現している。新京の司監部寺院建立とは大きな違いである。西岡師の資金には、宗教を通じた宣撫工作の一環として仏教を利用ようとする軍の機密費か満鉄の援助もあったのかもしれない。ただし、付記すれば西岡師の工事は途中で資金が不足してしまい、宗門に援助を求めたり大阪で満州軽業師などによる募金活動をしたりしていたが、難渋することとなってしまっていたのである。
  5. . 满洲灵庙奉赞会. (原始内容存档于2017-11-20) (日语). 【 満州霊廟奉賛会 】名誉会長 前国務総理大臣 鄭孝将(鄭孝胥・ていこうしょ) 会長 国務総理大臣 張景恵 副会長 陸軍中将 楠山又助 理事長 日本駐在大使 謝介石 理事 陸軍中将 小磯国昭 理事 海軍中将 小林省三郎 常任理事 建立発起人 西岡大元
    若し満州方面で戦病死、或いは殉難せられました御縁故の方が御座いましたら、御手数ながら左記へご法名又は俗名、死亡年月日、年齢等適当に御記入下さいませ。霊廟で朝夕ご供養させて戴きます。 大阪市天王寺区勝山通り2丁目38番地  満州霊廟絵葉書頒布会 大阪市天王寺区東平野町3丁目34番地  満州霊廟 総務部
  6. . 华商晨报. 2007-06-15 [2017-11-21]. (原始内容存档于2015-05-15).
  7. . 辽宁日报. 2015-06-10. (原始内容存档于2018-04-10).
  8. . 满洲国执政府内廷. 1933-11-17. (原始内容存档于2017-11-20).
  9. 矢田行蔵. . 興亜学社. 1936: 121-122. (原始内容存档于2018-04-10) (日语).
  10. 福島泰弘. . (原始内容存档于2017-11-17) (日语).
  11. . 华商晨报. 2007-06-14 [2017-11-21]. (原始内容存档于2016-09-07).
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