澎湖島要塞
概要
澎湖列島與基隆市、高雄市同為台灣防衛要地,明治28年(1895年),日軍攻佔澎湖後,於明治29年(1896年)7月13日成立「澎湖島要塞砲兵大隊」。後經重新規劃防禦設計後,根據《澎湖島要塞防禦要領書》所規劃,進行由築城部澎湖島支部工程的12座堡壘砲臺設施。首期興建工程為1900年4月的大山堡壘。
明治35年(1902年)5月1日,澎湖島要塞司令部於馬公成立,首任司令官為中田時懋少將。並在1903年6月30日進行要塞司令部的新築營舍工程[1]。最終該要塞的第一期工事建設則於1909年3月完成。 澎湖島要塞砲兵大隊則於1912年改為「馬公重砲兵大隊」,並隸屬於澎湖島要塞司令部。
為了準備南方作戰的實施,1921年8月,澎湖島要塞開始進行增援工作,但卻因1922年2月因华盛顿会议制定的《太平洋防衛限制條約》而取消,造成當時仍在施工中的外垵社砲臺、猪母水社砲臺被迫停工。一直至1934年12月,日本退出防衛限制條約後,才開始進行外按社砲台的加固工程。
1941年9月10日,日軍在太平洋戰爭前夕實施要塞部隊動員與臨時編成,將馬公重砲兵大隊改稱澎湖島要塞重砲兵連隊(通稱號:臺灣4512部隊),後在1945年1月25日復職重砲兵連隊,並將具有好戰性格的重砲兵第12連隊(通稱號:興第12857部隊)編入獨立混成第75旅團。[2][3],直到戰爭結束,澎湖島要塞的設施則由遭到國民政府接收,以作為陸軍澎湖防守司令部(後改名陸軍澎湖防衛司令部)的駐地使用。
年譜
- 1899年(明治32年)6月 陸軍築城部澎湖島支部開設
- 1900年(明治33年)4月 大山堡壘開工
- 5月 鶏舞鳥山砲台開工
- 7月 西嶼東砲台附屬砲台開工
- 1901年(明治34年)3月 西嶼東砲台開工
- 12月 拱北第1砲台・拱北第2砲台開工
- 1902年(明治35年)1月 拱北第3砲台開工
- 5月 天南砲台開工
- 6月 大山堡壘竣工
- 7月 拱北山堡塁・鶏舞鳥山砲台着工
- 1903年(明治36年)2月 拱北第3砲台竣工・内按社砲台開工
- 3月 西嶼東砲台竣工
- 4月 西嶼西砲台開工
- 6月 澎湖島要塞司令部於馬公城新築廳舍。並在6月30日開始進行辦公事務[4]。
- 1904年(明治37年)2月 日俄戰爭開戰・戰備動員下令
- 7月 拱北第1砲台・拱北第2砲台竣工
- 8月 拱北山堡壘竣工
- 9月 天南砲台・内按社砲台竣工
- 10月 西嶼東砲台附屬砲台・西嶼西砲台竣工
- 1905年(明治38年)1月 天南臨時砲台構築
- 1909年(明治42年)3月 要塞建設工事結束
- 1920年(大正9年)8月 陸軍築城部澎湖島支部再開設
- 1921年(大正10年)8月 外按社砲台開工
- 9月 豬母水砲台開工
- 1922年(大正11年)2月 豬母水砲台・外按社砲台的興建工程中止
- 1934年(昭和9年)12月 外按社砲台的増強工事開工
- 1940年(昭和15年)8月 年度陸軍動員計畫令指示、增加兵器交付命令。
- 1941年(昭和16年)9月 臨時編成令、準戰備下令。
- 11月 本戰備下令。
- 1945年(昭和20年)1月 要塞司令部及要塞重砲兵連隊復帰。
歷代司令官
- 中田時懋 少将:1903年5月1日 - 1906年3月12日
- 多田保房 少将:1906年3月12日 - 1907年11月13日
- 本庄道三 少将:1907年11月13日 - 1908年12月21日
- 太田正徳 少将:1908年12月21日 - 1909年1月14日
- 足立愛蔵 少将:1909年1月14日 -
- 千秋直之 少将:1912年8月3日 - 1914年8月8日
- 篠田金 少将:1914年8月8日 - 1916年8月18日
- 平瀬太平 少将:1916年8月18日 - 1918年7月24日
- 伊森重夫 少将:1918年7月24日 -
- 中島栄吉 少将:1919年7月25日 -
- 山田軍太郎 少将:1921年3月11日 -
- 島内国彦 少将:1922年8月15日 - 1924年12月15日
- 宇山熊太郎 少将:1924年12月15日 -
- 安井義之助 少将:1926年3月2日 -
- 波藤雅信 少将:1927年7月26日 -
- 荒城卓爾 少将:1928年3月8日 -
- 作田徳次 少将:1928年8月10日 -
- 金子因之 少将:1931年8月1日 -
- 鈴木元長 少将:1932年5月23日 -
- 松村修己 少将:1932年12月7日 -
- 高屋庸彦 少将:1934年8月1日 -
- 佐竹保治郎 少将:1935年3月15日 -
- 兼松成器 少将:1936年3月7日 -
- 桑名照弐 少将:1937年3月1日 -
- 青木敬一 少将:1937年11月24日 -
- 大妻茂澄 少将:1938年5月15日 -
- 小松二郎 少将:1939年3月9日 -
- 風早清 少将:1940年8月1日 -
- 鵜飼源吉 大佐:1942年12月1日 - ※兼務澎湖島重砲兵連隊長
轄內設施
澎湖島要塞部分設施現仍存,且多數具有文化資產身份,除要塞設施外,澎湖島要塞廳舍現以「澎防部建築群」之名登錄澎湖縣歷史建築,清領時期興築的澎湖廳城西城牆(小西門(順承門)至大西門間)旁設立的官兵宿舍群則作為篤行十村身份登錄歷史建築。
此外,下列部分附屬設施也具有文化資產身份:
參考文獻
- 引用
- 中華民國文化部. . memory.culture.tw. [2022-10-14] (中文(臺灣)).
- 『台湾防衛計画(澎湖島要塞火砲配置図)』 JACAR Ref.C11110400900 画像6枚目。
- 「作命甲関係」、画像19枚目。
- 『官報』第6004号、明治36年7月8日。
- 中華民國文化部. . memory.culture.tw. [2022-10-14] (中文(臺灣)).
- . www.jacar.archives.go.jp. [2022-10-14]. (原始内容存档于2022-10-14).
- 楊仁江. (PDF). 澎湖縣: 楊仁江建築師事務所. [2022-11-22]. (原始内容存档 (PDF)于2022-11-05) (中文(臺灣)).
- 書籍
- 媽宮(1604-1945):一個臺灣傳統城鎮空間現代化變遷之研究. 張玉璜。
- 井原伊三太郎著《澎湖島大觀》
- 浄法寺朝美『日本築城史 近代の沿岸築城と要塞』(原書房、1971年)
- 『日本の要塞 忘れられた帝国の城塞』(學習研究社歷史群像シリーズ、2003年) ISBN 4-05-603202-5
- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』(芙蓉書房出版、1987年)
- 篠崎達男「日本陸軍「沿岸要塞」の戦い」 『丸別冊 忘れえぬ戦場』(潮書房太平洋戦争証言シリーズ18號、1991年)
- 田藤博「砲兵連隊の戦歴」 『日本陸軍機械化部隊総覧』(新人物往来社別冊歷史讀本16卷6號、1991年)
- 『台湾防衛計画(澎湖島要塞火砲配置図)』 アジア歴史資料センター(JACAR) Ref.C11110400900, C11110401100
- 「作命甲関係」『第十方面軍関係戦史資料』 JACAR Ref.C11110404600
外部連結
- 澎防部建築群 - 澎湖知識服務平台 (页面存档备份,存于)