矢嶋組
略年表
- 1959年賭徒矢嶋長次與愛媛縣今治市賭徒・森川鹿次(森川組組長)的後母結婚,並在今治市組成「矢嶋組」。
- 1960年7月 在三代目山口組若頭・地道行雄(地道組組長)的引介下為山口組組長・田岡一雄授盃。
- 1974年4月 矢嶋繼承第2代森川組組長,並就任四代目山口組舍弟。
- 1989年6月 矢嶋退出山口組並引退江湖,9月山田忠利繼任二代目「矢嶋組」組長,同時昇格為五代目山口組(組長・渡辺芳則)直参。
- 2009年10月15日 二代目山田忠利組長引退發表[1];組織暫入二代目松山會傘下。
- 2010年6月5日 二代目松山會最高幹部的中山和廣,繼承三代目矢嶋組組長,同時六代目山口組直參升格。
- 2023年11月 武智浩三四代目組長繼承,同時晉升六代目山口組直系。原三代目組長中山和廣就任四代目總裁。
歷代組長
- 初代目:矢嶋長次
- 二代目:山田忠利(六代目山口組若中)
- 三代目:中山和廣(六代目山口組若中,原二代目河野組組長、二代目矢嶋組若頭補佐、二代目松山會最高幹部)
- 四代目:武智浩三
最高幹部
四代目
- 總裁・中山和廣
- 組長・武智浩三
- 若頭・黑川毅春(二代目豊嶋組組長)
- 舍弟頭・山田浩二
三代目
- 組長・中山和廣(六代目山口組若中,原二代目河野組組長、二代目矢嶋組若頭補佐、二代目松山會最高幹部)
- 若頭・木村滿志
- 本部長・石村磨喜男
- 若頭補佐・木村 秀(輝秀連合會長)
- 若頭補佐・山本真也(三代目山田會會長)
下部團體
橫本組、三代目山田會、山本會、輝秀連合、利道會。
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