第2飞行师团 (日本陆军)
第2飛行师团(だいにひこうしだん)是日本陸軍的航空师团之一。関東軍飛行隊的前身,1942年改称为第2飛行师团。
第2飞行师团 (日本陆军) | |
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存在時期 | 1937年(昭和12年)7月24日(関東軍飛行集团)-1945年(昭和20年)5月17日 |
國家或地區 | 大日本帝国 |
規模 | 师团 |
沿革
滿洲事變爆发后,为增强航空兵力,1931年(昭和6年)6月11日,関東軍飛行隊在平壤被组建。在此之后,以新京为总部,1935年(昭和10年)12月2日改成関東軍飛行集团,1937年(昭和12年)8月2日改称第2飛行集团。此外,1942年(昭和17年)4月15日改称为第2飛行师团,负责滿洲地区的防空。
进入太平洋战争后期,为了参加菲律賓戰役,1944年(昭和19年)5月部队转移至菲律宾,成为第4航空軍旗下部队。接收来自第4飛行师团转让所属的航空機,参加莱特岛战役。负责袭击美军军舰和机场,船队护航。由于以特攻機进行攻击行动而使战力被耗尽。
1945年1月1日起,第3航空军の区処を受け,同年2月随着第4航空军被取消编制,与第7飛行师团一道配属至第3航空軍旗下。同年3月下旬,司令部和残存飛行部隊转移至棉兰老岛。4月下旬,司令部迁至新加坡,5月17日解散。
师团概要
- 司令部通称号:鷲9109
歴代师团長
- 関東軍飛行隊長
- 長嶺亀助 大佐:1931年11月12日 -
- 大江亮一 少将:1932年6月6日 -
- 牧野正迪 少将:1932年10月3日 -
- 佐野光信 少将:1933年12月20日 -
- 小笠原数夫 少将:1935年8月1日 - 12月2日
- 関東軍飛行集团長
- 小笠原数夫 少将:1935年12月2日 -
- 安藤三郎 少将:1937年3月1日 - 8月2日
- 第2飛行集团長
- 安藤三郎 少将:1937年8月2日 -
- 儀峨徹二 中将:1938年11月28日 -
- 寺本熊市 中将:1940年8月1日 - 1942年4月15日
- 第2飛行师团長
- 寺本熊市 中将:1942年4月15日 -
- 河辺虎四郎 中将:1943年5月1日 -
- 下山琢磨 中将:1943年5月19日 -
- 山瀬昌雄 中将:1943年9月11日 -
- 木下勇 中将:1944年10月21日 -
- 寺田済一 中将:1944年11月27日 - 1945年5月23日
司令部構成
- 1944年5月現在
- 参謀長:内田厚生大佐
- 参謀(作战):野々垣四郎中佐
- 参謀(後方):鈴木清少佐
- 参謀(情報):伊藤禎三少佐
- 高級副官:上村三太夫中佐
- 兵器部長:原弘大佐
- 経理部長:小宮卓主計中佐
- 軍医部長:林真学軍医大佐
所属部隊
- 1944年5月現在
- 战斗部隊
- 第6飛行团司令部:小野門之助大佐
- 飛行第32战隊(軽爆):岡村正義少佐
- 飛行第66战隊(軽爆):佐藤辰男少佐
- 飛行第70战隊(战斗):長縄勝己少佐
- 第13飛行团司令部:江山六夫中佐
- 飛行第65战隊(襲撃):石原政雄中佐
- 第28独立飛行隊(司偵)(温春):国枝治平中佐
- 飛行場部隊
- 第6航空地区司令部
- 第13航空地区司令部:細野光武中佐
- 第26飛行場大隊
- 第37飛行場大隊
- 第86飛行場大隊
参考文献
- 秦郁彦編《日本陸海軍総合事典》第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操・森松俊夫編著《帝国陸軍編制総覧》芙蓉書房出版、1987年。
- 《別冊歴史読本 战記シリーズNo.32 太平洋战争师团战史》、新人物往来社、1996年。
- 木俣滋郎《陸軍航空隊全史》航空战史シリーズ90、朝日ソノラマ、1987年。
- 防衛研修所战史室《陸軍航空の軍備と運用(3)大東亜战争終战まで》 朝雲新聞社〈战史叢書〉、1976年。
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