護聖院宮
護聖院宮,是日本室町時代存在的南朝系世襲宮家之一。由後村上天皇皇子、後龜山天皇東宮(皇太弟)某親王為其家祖,近年研究認定某親王應該是惟成親王。南北朝合一後,護聖院宮的命運與公開反幕、要求皇位的小倉宮家大相逕庭。
護聖院宮 | |
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家祖 | 惟成親王? (後村上天皇皇子) |
种别 | 皇族(世襲宮家) |
出身地 | 大和國 |
根据地 | 近江國滋賀郡護正院 |
日語寫法 | |
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日語原文 | |
假名 |
歷代當主
惟成親王?
參考文獻
- 村田正志 〈後龜山天皇の御事蹟〉(《村田正志著作集 第1巻 増補南北朝史論》 思文閣出版、1983年。初出は1946年)
- 森茂曉 《闇の歴史、後南朝 ―後醍醐流の抵抗と終焉》 角川書店〈角川選書〉、1997年 ISBN 9784047032842
- 小川剛生 〈伏見殿をめぐる人々 ―《看聞日記》の人名考証―〉(森正人編 《伏見宮文化圏の研究 ―学芸の享受と創造の場として―》 文部省科學研究費補助金研究成果報告書、2000年)
- 小風真理子 〈山門使節と室町幕府 ―永享・嘉吉事件と護正院の台頭―〉(《お茶の水史学》第44号 お茶の水女子大学、2000年9月)
- 田代圭一 〈南朝皇胤についての一考察 ―《看聞日記》應永三十年二月二十二條をめぐって―〉(《古典遺產》第54號 古典遺產會、2004年9月)
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