金剛號鐵甲艦
金剛(日語:こんごう、Kongō)是日本海軍的軍艦,船體為鐵骨木皮的金剛型鐵甲艦的1號艦。為三等海防艦。艦名來自奈良县金剛山。
金剛 | |
历史 | |
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大日本帝国 | |
艦名 | 金剛 |
艦名出處 | 金剛山 |
下订日 | 1875年9月14日 |
建造者 | 英國赫爾Earle's Shipbuilding & Engineering Co. |
下水日 | 1877年4月17日 |
完工日 | 1878年1月 |
除籍日 | 1909年7月20日 |
结局 | 賣却,1910年5月20日 |
技术数据 | |
艦級 | 金剛型鐵甲艦 |
排水量 |
常備:2,248長噸(2,284公噸) 滿載:3,178長噸(3,229公噸) |
全長 | 220英尺(67.1米) |
全寬 | 41英尺(12.5米) |
吃水 | 19英尺(5.8米) |
動力輸出 |
2,450 ihp(1,830 kW) 6 cylindrical boilers |
動力來源 | 1 shaft, 1 horizontal return connecting-rod steam engine |
帆索方案 | Barque rigged |
速度 | 13節(24每小時;15英里每小時) |
續航距離 | 3,100 nmi(5,700 km;3,600 mi) at 10節(19每小時;12英里每小時) |
乘員 | 308名 |
武器裝備 | |
装甲 |
舷側:137mm 水線部:114mm |
艦歴
英格蘭赫爾起工。Edward James Reed設計。1878年回航日本,4月26日到達橫濱。參加了「日清戰争」、「日俄戰争」。後任測量任務,於日本近海進行水路測量。1909年除籍,翌年賣却解體。
年譜
艦長
※基於『日本海軍史』第9巻・第10巻「将官履歴」及『官報』。
- 伊藤雋吉 中佐:1878年4月29日 - 1881年6月17日
- 相浦紀道 大佐:1881年6月17日 - 1884年12月20日
- 井上良馨 大佐:1884年12月20日 - 1886年1月6日
- 兒玉利國 中佐:1886年1月6日 - 1月29日
- 磯辺包義 中佐:1886年1月29日 - 6月23日
- 青木住真 中佐:1886年6月23日[1] - 1889年4月17日
- 鮫島員規 大佐:1889年4月17日 - 1890年5月13日
- 日高壮之丞 大佐:1890年5月13日 - 1891年6月17日
- 田代郁彦 大佐:1891年6月17日 - 11月4日
- 田代郁彦 大佐:不詳 - 1893年5月20日
- 有馬新一 大佐:1893年9月12日 - 1894年12月17日
- 片岡七郎 大佐:1894年12月17日 - 1895年2月16日
- 舟木錬太郎 大佐:1895年2月16日 - 2月18日
- 伊藤常作 大佐:1895年6月18日 - 9月28日
- 世良田亮 大佐:1895年9月28日 - 1896年11月17日
- 梨羽時起 大佐:1897年4月17日 - 1898年10月1日
- 石井猪太郎 大佐:1898年10月1日 - 1899年9月29日
- 今井兼昌 大佐:1899年10月13日 - 1900年8月6日
- 成田勝郎 大佐:1901年5月16日 - 7月5日
- 伊地知季珍 大佐:1901年7月5日 - 1902年10月6日
- 和田賢助 大佐:1902年10月6日 - 10月23日
- 森義太郎 中佐:1903年11月5日 - 12月28日
- 成川揆 大佐:1903年12月28日 - 1905年3月15日
- 中川重光 大佐:不詳 - 1905年12月12日
- 秀島成忠 中佐:1905年12月12日 - 1906年11月22日
- 山本竹三郎 中佐:1906年11月22日 - 1908年3月25日
- 真野巌次郎 大佐:1908年3月25日 - 9月15日
同型艦
- 比叡 [I]
脚注
- 『官報』第895号、明治19年6月26日。
参考文獻
- 吳市海事歷史科學館編『日本海軍艦艇写真集・巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 『官報』
參閲
- 大日本帝國海軍艦艇一覽
- 金剛 [II] (戰艦)
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