陸軍野戰砲兵學校
所在地
千葉県旭村鹿渡無番地(現在是四街道市中央・鹿渡無番地)。主要施設有:現在的四街道市役所、千葉県立四街道高等学校、四街道市立中央小学校、四街道市中央公園、伊藤洋華堂四街道店等。現在的四街道市公民館、愛国学園大学、千葉敬愛高等学校及周边为幹部候補生隊。驻当地的野戦重砲兵第四連隊在1939年(昭和14年)移防中国大陸後、留下的空置设施也被炮校使用。
沿革
歴代校長
陸軍砲兵射的学校長
- 江間孚通 砲兵中佐:1886年5月3日 - 1888年5月21日
- 黒瀬義門砲兵中佐:1888年5月30日 -
- 熊谷宣篤砲兵中佐:1893年4月21日 - 1894年6月14日
- 伊藤祐義砲兵中佐:1894年6月14日 -
- 出石猷彦砲兵中佐:1895年8月8日 - 1896年5月15日
陸軍野戦砲兵射撃学校長
- 伊藤祐義 砲兵大佐:不詳 - 1897年10月11日
- 野間駉砲兵大佐:1897年10月11日 - 1903年5月1日
- 松本鼎砲兵大佐:1903年5月1日 -
- 木下宇三郎砲兵大佐:1907年11月13日 - 1910年10月1日
- 河北栄太郎砲兵大佐:1910年10月1日 - 1913年8月22日
- 長尾駿郎砲兵大佐:1913年8月22日 - 1916年8月18日
- 渡辺満太郎少将:1916年8月18日 - 1917年8月6日
- 小野寺重太郎少将:1917年8月6日 -
- 磯村年少将:1919年4月15日 -
- {{tsl|ja|波多野義彦v少将:1921年3月28日 -
野戦砲兵学校長
- 波多野義彦 少将:1922年9月6日 - 1923年8月6日[2]
- 金山久松少将:1923年8月6日[2] - 1926年3月2日[3]
- 原口初太郎中将:1926年3月2日 -
- 室兼次少将:1927年7月26日 -
- 西義一中将:1930年8月1日 -
- 入江仁六郎少将:1931年8月1日 -
- 伊東政喜少将:1933年8月1日 -
- 山室宗武少将:1934年8月1日 - 1936年3月23日[4]
- 井関隆昌少将:1936年3月23日 -
- 広野太吉少将:1937年8月14日 -
- 前田治少将:1938年7月15日 -
- 井関仭少将:1939年3月9日 -
- 佐野忠義 少将:1940年8月1日 -
- 重田徳松少将:1941年6月20日 -
- 池田浚吉少将:1942年3月2日 -
- 欠員:1944年3月4日 - 8月22日
- 橋本博光少将:1944年8月22日 - 閉校
参考文献
- 味澤由妃(2014年8月20日). “戦後70年を前に:1都3県・痕跡を訪ねて/3 四街道市・旧陸軍野戦砲兵学校 繰り上げ卒業、次々戦地へ”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- 『官報』第3306号、大正12年8月7日。
- 『官報』第4054号、大正15年3月3日。
- 『官報』第2765号、昭和11年3月24日。
参考文献
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
関連項目
- 大日本帝国陸軍
- 下志津
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