臣籍降下
臣籍降下(日语:/ shinseki kōka */?)是指日本皇室成員被取消皇族資格、取得姓氏及戶籍成為一般民眾之事。現行日本憲法施行後則稱為皇籍離脱(/ kōseki ridatsu)。明治維新後,內親王、女王在下嫁平民後也會脫離皇族,此時被稱為臣籍降嫁(日语:/ shinseki kōka */?),若嫁給皇族則可保留皇族身份。
沿革
平安時代,皇族人数太多,皇宮財政甚窘;天皇唯有將血缘疏远或者較不受寵的皇室子弟降為臣民,让他们自力更生,以維繫宮內財政。這些成為臣民的公子王孫多半成为武士,如平氏与源氏。
第二次世界大戰日本投降後,盟軍佔領日本。1947年,奉駐日盟軍總司令部(GHQ)指示,伏見宮、閑院宮、山階宮、北白川宮、梨本宮、久邇宮、賀陽宮、東伏見宮、朝香宮、東久邇宮、竹田宮等11個宮家之宗室子弟皆被昭和天皇賜姓成為平民,以宮名為新的苗字(即姓氏),比如伏見宮第26代當主伏見宮博明王脫離皇室後改名「伏見博明」、閑院宮第7代當主閑院宮春仁王脫離皇室後改名「閑院春仁」。
臣籍降嫁
從1890年開始,截止2021年,共有7位內親王、34位女王臣籍降嫁。最近一位是2021年秋篠宮文仁親王的長女小室真子(舊稱真子內親王)。
名諱 | 降嫁後姓名 | 關係 | 日期 | 事由 |
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安喜子女王 | 池田安喜子 | 久邇宮朝彦親王第3王女 | 1890年(明治23年)12月24日 | 與池田侯爵家繼承人池田詮政結婚[1] |
絢子女王 | 竹内絢子 | 久邇宮朝彦親王第5王女 | 1892年(明治25年)12月26日 | 與竹内子爵家当主竹内惟忠結婚[2] |
素子女王 | 仙石素子 | 久邇宮朝彦親王第6王女 | 1893年(明治26年)11月15日 | 與仙石子爵家繼承人仙石政敬結婚[3] |
栄子女王 | 東園栄子 | 久邇宮朝彦親王第2王女 | 1899年(明治32年)9月26日 | 與東園子爵家的當主東園基愛結婚[4] |
禎子女王 | 山内禎子 | 伏見宮貞愛親王第1王女 | 1901年(明治34年) | 4月6日與山内侯爵家的當主山内豊景結婚[5] |
純子女王 | 織田純子 | 久邇宮朝彦親王第9王女 | 1901年(明治34年)11月27日 | 與織田子爵家的當主織田秀実結婚[6] |
貞子女王 | 有馬貞子 | 北白川宮能久親王第2王女 | 1903年(明治36年)2月6日 | 與有馬伯爵家繼承人有馬頼寧結婚[7] |
滿子女王 | 甘露寺滿子 | 北白川宮能久親王第1王女 | 1904年(明治37年)11月14日 | 與甘露寺伯爵家繼承人甘露寺受長結婚[8] |
篶子女王 | 壬生篶子 | 久邇宮朝彦親王第8王女 | 1906年(明治39年)10月28日 | 與壬生伯爵家的當主壬生基義結婚[9] |
實枝子女王 | 德川實枝子 | 有栖川宮威仁親王第2王女 | 1908年(明治41年)11月8日 | 與德川公爵家(慶喜家)繼承人德川慶久結婚[10] |
武子女王 | 保科武子 | 北白川宮能久親王第3王女 | 1911年(明治44年)4月17日 | 與保科子爵家的當主保科正昭結婚[11] |
茂子女王 | 黑田茂子 | 閑院宮載仁親王第2王女 | 1914年(大正3年)1月21日 | 與黑田侯爵家繼承人黑田長禮結婚[12] |
由紀子女王 | 町尻由紀子 | 賀陽宮邦憲王第1王女 | 1915年(大正4年)4月30日 | 與町尻子爵家養子繼承人町尻量基結婚[13] |
擴子女王 | 二荒擴子 | 北白川宮能久親王第5王女 | 1915年(大正4年)7月20日 | 與二荒伯爵家的當主二荒芳德結婚[14] |
恭子女王 | 安藤恭子 | 閑院宮載仁親王第1王女 | 1915年(大正4年)9月3日 | 與安藤子爵家的當主安藤信昭結婚[15] |
恭子女王 | 淺野恭子 | 伏見宮博恭王第1王女 | 1918年(大正7年)5月29日 | 與淺野侯爵家繼承人淺野長之的長男淺野長武結婚[16] |
方子女王 | 李方子 | 梨本宮守正王第1王女 | 1920年(大正9年) | 4月28日與李王世子李垠結婚[17] |
安子女王 | 淺野安子 | 山階宮菊麿王第1王女 | 1920年(大正9年)11月9日 | 與淺野侯爵家継嗣淺野長之的長男淺野長武結婚[18] |
智子女王 | 大谷智子 | 久邇宮邦彥王第3王女 | 1924年(大正13年) | 5月3日與大谷伯爵家繼承人大谷光暢結婚[19] |
信子女王 | 三条西信子 | 久邇宮邦彥王第2王女 | 1924年(大正13年)12月9日 | 與三条西伯爵家繼承人三条西公正結婚[20] |
敦子女王 | 清棲敦子 | 伏見宮博恭王第2王女 | 1926年(大正15年)10月27日 | 與清棲伯爵家的當主清棲幸保結婚[21] |
規子女王 | 廣橋規子 | 梨本宮守正王第2王女 | 1926年(大正15年)12月 | 2日與廣橋伯爵家的當主廣橋真光結婚[22] |
華子女王 | 華頂華子 | 閑院宮載仁親王第5王女 | 1926年(大正15年)12月13日 | 與華頂侯爵家的當主華頂博信結婚[23] |
紀久子女王 | 鍋島紀久子 | 朝香宮鳩彦王第1王女 | 1931年(昭和6年)5月12日 | 與鍋島侯爵家繼承人鍋島直泰結婚[24] |
美年子女王 | 立花美年子 | 北白川宮成久王第1王女 | 1933年(昭和8年)1月17日 | 與立花子爵家繼承人立花種勝結婚[25] |
禮子女王 | 佐野禮子 | 竹田宮恒久王第1王女 | 1934年(昭和9年)3月26日 | 與新華族佐野伯爵家繼承人佐野常光結婚[26] |
佐和子女王 | 東園佐和子 | 北白川宮成久王第2王女 | 1935年(昭和10年)1月7日 | 與東園子爵家的當主東園基文結婚[27] |
恭仁子女王 | 二条恭仁子 | 多嘉王第3王女 | 1939年(昭和14年)4月2日 | 與二条公爵家的當主二条弼基結婚[28] |
多惠子女王 | 德川多惠子 | 北白川宮成久王第3王女 | 1941年(昭和16年)4月14日 | 與德川公爵家(水戶家)的當主德川圀順的二男德川圀禎結婚[29] |
湛子女王 | 大給湛子 | 朝香宮鳩彦王第2王女 | 1941年(昭和16年)11月7日 | 與大給伯爵家的當主大給義龍結婚[30] |
美智子女王 | 德大寺美智子 | 賀陽宮恒憲王第1王女 | 1943年(昭和18年)12月29日 | 與德大寺公爵家当主德大寺實厚的二男德大寺齊定結婚[31] |
正子女王 | 龍田正子 | 久邇宮朝融王第1王女 | 1945年(昭和20年)4月22日 | 與龍田伯爵家的當主龍田德彦結婚[32] |
孝宮和子内親王 | 鷹司和子 | 昭和天皇第3皇女 | 1950年(昭和25年)5月20日 | 與鷹司旧公爵家繼承人鷹司平通結婚[33] |
順宮厚子内親王 | 池田厚子 | 昭和天皇第4皇女 | 1952年(昭和27年)10月10日 | 與池田舊侯爵家繼承人池田隆政結婚 |
清宮貴子内親王 | 島津貴子 | 昭和天皇第5皇女 | 1960年(昭和35年)3月10日 | 與島津舊伯爵家繼承人島津久永結婚 |
甯子内親王 | 近衛甯子 | 三笠宮崇仁親王第1王女 | 1966年(昭和41年)12月18日 | 與近衛旧公爵家的當主近衛護煇結婚 |
容子内親王 | 千容子 | 三笠宮崇仁親王第2王女 | 1983年(昭和58年)10月14日 | 與裏千家若宗匠千宗之結婚 |
紀宮清子内親王 | 黑田清子 | 上皇明仁第1皇女 | 2005年(平成17年)11月15日 | 與黑田慶樹結婚 |
典子女王 | 千家典子 | 高円宮憲仁親王第2王女 | 2014年(平成26年)10月5日 | 與千家舊男爵家繼承人千家國麿結婚[34] |
絢子女王 | 守谷絢子 | 高円宮憲仁親王第3王女 | 2018年(平成30年)10月29日 | 與守谷慧結婚 |
眞子内親王 | 小室眞子 | 秋篠宮文仁親王第1王女 | 2021年(令和3年)10月26日 | 與小室圭結婚 |
参考文献
- 『官報』第2249号、明治23年12月25日
- 『官報』第2851号、明治25年12月27日
- 『官報』第3116号、明治26年11月16日
- 『官報』第4873号、明治32年9月27日
- 『官報』号外、明治34年4月6日
- 『官報』号外、明治34年11月27日
- 『官報』号外、明治36年2月6日
- 『官報』号外、明治37年11月14日
- 『官報』号外、明治39年10月28日
- 『官報』号外、明治41年11月8日
- 『官報』号外、明治44年4月17日
- 『官報』第443号、大正3年1月22日
- 『官報』第822号、大正4年5月1日
- 『官報』第891号、大正4年7月21日
- 『官報』第928号、大正4年9月4日
- 『官報』第1746号、大正7年5月30日
- 『官報』第2320号、大正9年4月29日
- 『官報』第2483号、大正9年11月10日
- 『官報』第3507号、大正13年5月5日
- 『官報』第3691号、大正13年12月10日
- 『官報』第4254号、大正15年10月28日
- 『官報』第4284号、大正15年12月3日
- 『官報』第4293号、大正15年12月14日
- 『官報』第1308号、昭和6年5月13日
- 『官報』第1813号、昭和8年1月18日
- 『官報』第2168号、昭和9年3月27日
- 『官報』第2402号、昭和10年1月8日
- 『官報』第3672号、昭和14年4月5日
- 『官報』第4279号、昭和16年4月15日
- 『官報』第4451号、昭和16年11月8日
- 『官報』第5090号、昭和19年1月4日
- 『官報』第5480号、昭和20年4月24日
- 『官報』第7004号、昭和25年5月20日「和子内親王殿下が皇族の身分を離れられる件(昭和25年宮内庁告示第4号)」
- 『官報』特別号外 第19号、平成26年10月5日
外部連結
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