第35軍 (日本陸軍)
第35軍(だいさんじゅうごぐん)是大日本帝国陸軍的军之一。
第35軍 | |
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存在時期 | 1944年(昭和19年)8月4日-1945年(昭和20年) |
國家或地區 | 大日本帝国 |
部門 | 大日本帝国陸軍 |
別稱 | 尚 |
參與戰役 | 第二次世界大战 (レイテ島の战い) |
沿革
1944年(昭和19年)8月4日组建,隶属于第14方面軍。最初是以长期持久作战为目的执行菲律宾的棉兰老岛以及米沙鄢群岛的防卫任务。
1944年(昭和19年)10月20日,美军在莱特岛登陆,此时收到大本营将要进行莱特岛决战的决定,负责雷伊泰島戰役的作战任务。由于丧失了制空權和制海权,补给等卷大部分都在途中损失了,同年12月18日大本营决定放弃莱特岛。至12月22日,第14方面军开始奉命自战自活。
此后,第35军在莱特岛、棉兰老岛、米沙鄢群岛等地转入长期持久作战中,持续抵抗美军。这也意味着屋子的匮乏和开始于饥饿的战斗。
第35軍の人事
司令官
- 鈴木宗作 中将(陸士24期、陸大31期:1944年(昭和19年)7月28日 - 1945年(昭和20年)4月19日)
参謀長
- 友近美晴 大佐→少将(陸士32期、陸大41期:1944年(昭和19年)7月28日 - 1944年(昭和19年)11月14日)※同軍参謀副長。
- 和知鷹二 中将(陸士26期、陸大34期:1944年(昭和19年)11月14日 - 1945年(昭和20年)2月20日) ※南方軍に転出。
- 友近美晴 少将(1945年(昭和20年)2月20日 - 終战)
参謀副長
- 友近美晴 少将(1944年(昭和19年)11月14日 - 1945年(昭和20年)2月20日)
※1944年(昭和19年)11月、和知中将の参謀長就任にともない参謀副長、1945年(昭和20年)2月の同中将の転出により参謀長に復す。
参謀部
- 高級参謀:中村貢 大佐(陸士37期、陸大48期)
- 作战主任参謀:大曽根義彦 大佐(陸士38期、陸大47期)
- 作战参謀:加登川幸太郎 中佐(陸士42期、陸大50期:1944年(昭和19年)11月 - 1945年(昭和20年)4月)※第38軍に転出。
- 後方参謀:龍崎庄司 中佐(陸士43期、陸大49期)
- 後方参謀:杉本森雄 中佐(陸士42期、陸大55期)
- 後方参謀:山崎万造 少佐(陸士48期、陸大58期)
- 後方参謀:小幡一喜 中佐→大佐(陸士35期、陸大47期)
- 情報主任参謀:渡辺利亥 少佐→中佐(陸士45期、陸大53期)
- 情報参謀:高橋公平 少佐(陸士51期、陸大58期)
- 船舶参謀:渡辺繁夫 少佐→中佐(陸士42期、陸大54期)
- 通信参謀:佐藤弥太郎 少佐(陸士46期、陸大57期)
副官部
- 高級副官:島田森之助 中佐(陸士31期)
- 副官:赤羽正一 少佐(少候6期)
- 副官:綿野得定 中尉
司令部各部
- 兵器部長:髙田九郎 中佐(陸士30期)
- 経理部長:平井勇 主計少将
- 軍医部長:吉岐益夫 軍医少将
第35軍直属部隊の略歴
- 野战高射砲第76大隊
- 大隊長:古庄義明 少佐
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- 第1通信隊
- 隊長:山下脩史 少佐 (陸士48期)
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特設機関砲隊
- 特設第8機関砲隊
- 特設第9機関砲隊
- 特設第16機関砲隊
- 特設第17機関砲隊
- 特設第18機関砲隊
- 特設第19機関砲隊
- 特設第22機関砲隊
- 特設第23機関砲隊
- 特設第24機関砲隊
- 特設第25機関砲隊
- 特設第26機関砲隊
- 特設第27機関砲隊
- 特設第28機関砲隊
- 特設第29機関砲隊
- 特設第30機関砲隊
兵站部隊
- 独立自動車第322中隊
- 独立自動車第323中隊
- 独立自動車第324中隊
- 独立自動車第327中隊
- 独立自動車第328中隊
- 独立自動車第329中隊
- 特設自動車第24中隊
- 南方第13陸軍病院
- 南方第14陸軍病院
勤務部隊
- 第22野战勤務隊
- 建設勤務隊第47中隊
相关条目
參考文献
- 秦郁彦編《日本陸海軍総合事典》第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操・森松俊夫編著《帝国陸軍編制総覧》芙蓉書房出版、1987年。
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