陸上自衛隊第1空降團
第1空降團(日语:/ Dai-ichi Kūteidan */?),又稱習志野空降團(日语:),是日本陸上自衛隊唯一的空降部隊[1][2],因其駐紮於千葉縣船橋市內的習志野屯駐地而得名。
第1空降團 | |
---|---|
陸上自衛隊第1空降團臂章 | |
存在時期 | 1958年6月25日至今 |
國家或地區 | 日本 |
部門 | 日本陸上自衛隊 |
種類 | 空降步兵 |
功能 | 空中突擊 直接打擊 非常規戰爭 偵察 |
規模 | 1900人 |
直屬 | 中央即應集團 |
駐軍/總部 | 千葉縣船橋市習志野基地 |
別稱 | 習志野空降團 |
格言 | 精鋭無比 |
指挥官 | |
現任指揮官 | 若松純也 陸将補(少將) |
日語寫法 | |
---|---|
日語原文 | |
假名 | |
平文式罗马字 |
第1空降團是自卫队中的精銳傘兵單位,主要任務是反制敵軍的游擊作戰、特種部隊。自1999年起,該團中新編了一支引導隊(誘導隊),主要功能為撤離非戰鬥人員(Non-combatant Evacuation Operations,NEO)。該團目前隸屬於負責執行國際維和任務的中央即應集團。
該團經常被拿來與西部方面普通科連隊做比較,因為這兩支部隊是日本唯二擁有主動發起攻擊作戰能力的特殊單位;日本國內其它的特種部隊不是奉命執行反恐任務,就是負有守衛國土的責任。因此,第1空降團及西普連的存在對自衛隊成員來說有提升士氣的作用。 [3]
歷史
二戰結束後到冷戰的初始階段間,由於美國與前蘇聯的緊張態勢持續升溫,因此1955年時,佔領日本的美軍部隊便允許日本政府從自衛隊中挑選隊員來組建一支暫時的空降部隊以因應局勢。1958年,在空降團的第一任團長衣笠駿雄上任後,部隊內編成了第一個排級戰鬥隊。其後,隨著突擊訓練及傘降訓練分別於1962年及1969年納入正規課程,該團人數不斷增加。1973年又增設了一支武裝運輸部隊。
1985年,第1空降團參與了日本航空123號班機空難的搜救任務,地點為群馬縣境內的高天原山山脊,當時民間的志願搜救隊伍及當地消防部門已經在這裡尋獲數名生還者。這次的搜救任務也是該團首次在大眾面前曝光。後來,該團亦參與了山梨縣的民間救援任務及1995年阪神大地震的搜救任務。
1999年10月20日,該團中新建了一支引導隊,駐紮於船橋市。2000年,該團開始籌畫組建一支新的特戰單位,也就是後來的特殊作戰群。2003年時,特殊作戰群組織架構及任務目標都已大致底定。該作戰群的主要功能為反恐及反游擊作戰。原先的構想是該作戰群由第1空降團直接管轄,但2004年時該作戰群自第1空降團抽調出來,編入防衛省。一如日本國內其他的特種部隊,特殊作戰群直屬於防衛省,但由陸上自衛隊直接指揮。
第1空降團也曾派駐伊拉克,以實踐日本政府為伊拉克提供地面人員援助的承諾。2006年中旬,該團與大量的自衛隊伊拉克復興支援群人員一同撤出伊拉克。2007年3月28日,第1空降團編入中央即應集團。
部署行動
爭議
入團標準
在加入第1空降團前,所有候選者必須符合下列幾項標準:
組織架構
第1空降團的組織架構如下:[5]
- 第1空降團本部
- 團本部中隊(即團部連)
- 第1普通科大隊(即步兵營),下轄一個本部中隊及第1、2、3中隊
- 第2普通科大隊,下轄一個本部中隊及第4、5、6中隊
- 第3普通科大隊,下轄一個本部中隊及第7、8、9中隊
- 特科大隊(即砲兵營),下轄一個本部中隊、一個通信中隊(即通信連)、一個設施中隊(即工兵連),以及三個射擊中隊,主要武裝為F1 120毫米迫擊砲
- 後方支援隊
- 陸上自衛隊空降教育隊
編成表
HQ 団本部 | 団本部中隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第1普通科大隊 | 本部中隊 | 第2普通科大隊 | 本部中隊 | 第3普通科大隊 | 本部中隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第1中隊 | 第4中隊 | 第7中隊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第2中隊 | 第5中隊 | 第8中隊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第3中隊 | 第6中隊 | 第9中隊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
特科大隊 | 本部中隊 | 通信中隊 | 施設中隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第1中隊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第2中隊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第3中隊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
後方支援隊 | 陸上自衛隊空挺教育隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
武器裝備
第1空降團的武器裝備與陸上自衛隊大同小異,包括:[6]
主要幹部
官職名 | 階級 | 姓名 | 補職発令日 | 前職 |
---|---|---|---|---|
第1空挺団長 兼 習志野駐屯地司令 | 陸将補(少將) | 若松純也 | 2022年 | 3月30日第8師団副師団長 兼 北熊本駐屯地司令 |
副団長 | 1等陸佐 | 髙倉敬 | 2024年 | 3月18日陸上自衛隊九州補給処総務部長 |
高級幕僚 | 1等陸佐 | 山下正浩 | 2023年 | 3月13日第51普通科連隊長 |
代 | 姓名 | 在職期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 衣笠駿雄 (1等陸佐) | 1958年 | 6月25日 - 1958年 7月31日陸士48期・ 陸大55期 | 空挺教育隊長 | 陸上幕僚監部第3部研究班長 |
2 | 渡邊利亥 | 1958年 ※1961年 1月 1日 陸将補昇任 | 8月 1日 - 1963年 3月15日陸士45期・ 陸大53期 | 陸上幕僚監部第3部業務計画班長 (1等陸佐) | 東部方面総監部幕僚長 兼 市ケ谷駐とん地司令 |
3 | 片木良平 | 1963年 ※1964年 7月 6日 陸将補昇任 | 3月16日 - 1966年 3月15日陸士46期 | 陸上自衛隊富士学校普通科教育部長 (1等陸佐) | 第1教育団長 兼 武山駐とん地司令 |
4 | 花見侃 | 1966年 | 3月16日 - 1968年 3月15日陸士47期・ 陸大57期 | 第3師団副師団長 兼 千僧駐とん地司令 | 陸上幕僚監部付 →1968年10月31日 退職(陸将昇任) |
5 | 倉重翼 | 1968年 | 3月16日 - 1970年 6月30日陸士52期 | 陸上幕僚監部第1部副部長 | 北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐とん地司令 |
6 | 越智誠一 | 1970年 | 7月 1日 - 1971年 8月19日陸士54期 | 第1空挺団副団長 | 東部方面総監部幕僚長 兼 市ケ谷駐とん地司令 |
7 | 八木正忠 | 1971年 ※1972年 7月 1日 陸将補昇任 | 8月20日 - 1973年 3月15日陸士54期 | 富士教導団副団長 (1等陸佐) | 自衛隊体育学校長 |
8 | 那須明 | 1973年 ※1975年 7月 1日 陸将昇任 | 3月16日 - 1976年 7月 1日陸士54期 | 陸上幕僚監部監察官 | 退職 |
9 | 小林正信 | 1976年 ※1979年 7月10日 陸将昇任 | 7月 1日 - 1980年 3月16日陸士59期・ 関西大学 昭和24年卒 | 第1空挺団副団長 | 第1師団長 |
10 | 若月勲 | 1980年 ※1980年 7月 1日 陸将補昇任 | 3月17日 - 1982年 6月30日名幼47期・ 中央大学 昭和28年卒 | 第10師団司令部幕僚長 (1等陸佐) | 北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令 |
11 | 水野智之 | 1982年 | 7月 1日 - 1984年 6月30日防大1期 | 第5師団司令部幕僚長 | 自衛隊富士学校普通科部長 |
12 | 小林英雄 | 1984年 ※1985年 3月16日 陸将補昇任 | 7月 1日 - 1986年 7月31日防大1期 | 中部方面総監部人事部長 (1等陸佐) | 第10師団副師団長 兼 守山駐屯地司令 |
13 | 楠元惇之 | 1986年 | 8月 1日 - 1989年 3月16日防大1期 | 自衛隊愛知地方連絡部長 | 退職 |
14 | 木家勝 | 1989年 | 3月16日 - 1991年 3月15日防大6期 | 北部方面総監部防衛部長 | 陸上自衛隊幹部候補生学校長 兼 前川原駐屯地司令 |
15 | 土井義彦 | 1991年 | 3月16日 - 1993年 6月30日防大7期 | 第9師団副師団長 兼 青森駐屯地司令 | 陸上自衛隊東北地区補給処長 |
16 | 山本勝 | 1993年 | 7月 1日 - 1996年 3月24日防大9期 | 自衛隊沖縄地方連絡部長 | 陸上自衛隊富士学校副校長 |
17 | 高橋佳嗣 | 1996年 | 3月25日 - 1998年 6月30日防大11期 | 陸上自衛隊幹部候補生学校学生隊長 | 自衛隊体育学校長 |
18 | 衣笠陽雄 | 1998年 | 7月 1日 - 2001年 1月10日防大13期 | 第6師団司令部幕僚長 | 陸上自衛隊関西補給処長 兼 宇治駐屯地司令 |
19 | 直海康寛 | 2001年 | 1月11日 - 2002年 3月21日防大16期 | 陸上自衛隊富士学校特科部長 | 陸上自衛隊幹部候補生学校長 兼 前川原駐屯地司令 |
20 | 火箱芳文 | 2002年 | 3月22日 - 2003年 3月26日防大18期 | 中部方面総監部幕僚副長 | 北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令 |
21 | 寺崎芳治 | 2003年 | 3月27日 - 2005年 1月11日防大20期 | 陸上幕僚監部監理部総務課庶務室長 | 東北方面総監部幕僚副長 |
22 | 木野村謙一 | 2005年 | 1月12日 - 2006年 8月 3日防大23期 | 陸上幕僚監部人事部人事計画課長 | 陸上幕僚監部運用支援・情報部長 |
23 | 岡部俊哉 | 2006年 | 8月 4日 - 2008年 7月31日防大25期 | 陸上幕僚監部運用支援・情報部 運用支援課長 | 西部方面総監部幕僚副長 |
24 | 永井昌弘 | 2008年 | 8月 1日 - 2010年 7月25日防大25期 | 東北方面総監部幕僚副長 | 陸上自衛隊富士学校特科部長 |
25 | 山之上哲郎 | 2010年 | 7月26日 - 2012年 7月25日防大27期 | 第3師団副師団長 兼 千僧駐屯地司令 | 陸上幕僚監部教育訓練部長 |
26 | 前田忠男 | 2012年 | 7月26日 - 2013年12月17日防大31期 | 陸上幕僚監部装備部装備計画課長 | 陸上自衛隊幹部候補生学校長 兼 前川原駐屯地司令 |
27 | 岩村公史 | 2013年12月18日 - 2015年 | 8月 3日防大29期 | 中央即応集団副司令官 | 陸上自衛隊富士学校副校長 |
28 | 兒玉恭幸 | 2015年 | 8月 4日 - 2018年 3月26日防大33期 | 陸上幕僚監部人事部募集・援護課長 | 陸上幕僚監部監察官 |
29 | 戒田重雄 | 2018年 | 3月27日 - 2020年 8月24日防大35期 | 西部方面総監部幕僚副長 | 陸上幕僚監部運用支援・訓練部長 |
30 | 堺一夫 | 2020年 | 8月25日 - 2022年 3月29日防大36期 | 西部方面総監部幕僚副長 | 東部方面総監部幕僚長 兼 朝霞駐屯地司令 |
31 | 若松純也 | 2022年 | 3月30日 -防大36期 | 第8師団副師団長 兼 北熊本駐屯地司令 |
腳註
- ""Guide unit" established in GSDF to transport and escort Japanese nationals overseas in times of emergency".
- Japan Ground Self-Defense Force / Central Readiness Force Organization. 的存檔,存档日期2013-01-24.
- Herbert Holeman (2000).
- "GSDF sergeant shoplifts to avoid Iraq mission?"
- Introduction Page.
- 平成22年 習志野 第1空挺団 降下訓練始め (in Japanese).