興亞會
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假名 | |
平文式罗马字 | |
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1874年,大久保利通因參與天津條約的交涉而來到中國。他在與李鴻章會談時,以「日本、清國、朝鮮等東洋國家團結」為目的,互相設置對方國家語言的學校,1878年,日本海軍中尉曾根俊虎便創立振亞會,講授漢學、漢語。1880年,在外務省的支持下,興亞會創立。與此同時,中國發生伊犁事件,為了防備俄羅斯勢力對東亞的滲透,何如璋等人加入了興亞會。而在朝鮮,開化黨的不少人物也加入了興亞會。
1883年,改名亞細亞協會。1894年中日甲午戰爭爆發之際,亞細亞協會的骨幹成員在勝海舟的支持下,曾公開反對對清政府開戰。不過也有不少在該協會旗下學習漢語的人士隨軍出征,成為漢語翻譯。1900年被併入東亞同文會。
組織
幹事
- 曾根俊虎(海軍中尉)
- 金子弥兵衛(南部藩士)
- 草間時福(朝野新聞記者)
- 宮崎駿兒(幕臣)
- 佐藤暢(薩摩藩士)
- 末廣鐵腸(朝野新聞主任)
會員
- 北白川宮能久親王(皇族)
- 小松宮彰仁親王(皇族)
- 松平忠礼(上田藩主)
- 松平正信
- 塚本明毅(數學家)
- 鍋島直大(佐賀藩主)
- 柳原前光(元老院議官)
- 前田献吉(外務省)
- 竹添進一郎(熊本藩士)
- 東次郎(外務省)
- 品川忠道(日本駐上海領事)
- 近藤真鋤(外交官)
- 林清康(海軍)
- 仁禮景範(海軍)
- 伊東蒙吉(海軍)
- 小見源職(支那語學校)
- 仁礼敬之(支那語学校)
- 山吉盛義(支那語学校)
- 成島柳北(民權運動家)
- 高橋基一(朝野新聞記者)
- 中村正直(同人社塾長)
- 重野安繹(漢学者)
- 廣部精(漢学者)
- 岡本監輔(漢学者)
- 小幡篤次郎(慶應義塾長)
- 三島中洲(三島毅、二松学舍創立者)
- 岸田吟香(大陸浪人)
- 假名垣魯文(戲作家)
- 吾妻兵治(同人社同人)
- 中島雄(同人社同人)
- 五代友厚(貿易商)
- 岩崎弥之助(三菱商会總裁)
- 江南哲夫(三菱商会幹部)
- 大倉喜八郎(大倉組總裁)
- 笠野吉次郎(貿易商)
- 渥美契緣(東本願寺系佛教人士)
- 大谷勝尊(東本願寺系佛教人士)
- 奧村圓心(東本願寺系佛教人士)
- 島地默雷(東本願寺系佛教人士)
- 谷干城(陸軍)
- 鳥尾小弥太(陸軍)
- 加藤政之助(大坂商法会議所幹部)
- 河野捨三(大坂商法会議所幹部)
- 吉田正夏(官吏)
- 中上川彦次郎(三井財閥幹部)
- 朝吹英二(三井財閥幹部)
- 大鳥圭介(幕臣)
- 由利公正(福井藩士)
- 津田仙(教育家)
- 北澤正誠(外務省)
- 小松原英太郎(外務省)
- 伊東祐麿(海軍中将)
- 赤松則良(海軍中将)
- 小島忠里(民權論者)
- 森岡昌純(兵庫縣令)
- 大久保利昭(大久保利通養子)
- 板垣政德(南部藩士)
- 森下岩楠(東京興信所長)
- 山吉盛典(米澤藩士、福島縣權令)
- 吉田晩稼(陸軍大尉)
- 黑岡帶刀(海軍中将)
- 丸山孝一郎(海軍法務官)
- 小牧昌業(薩摩藩士、貴族院議員)
- 高橋新吉(大坂稅關長)
- 原保太郎(兵庫縣廳職員)
- 山本龜太郎(貿易業者)
- 本山彦一(民權論者)
- 田鎖綱紀(民權論者)
- 野村莠(福岡日日新聞編集長)
- 渡邊清(福岡縣令)
- 杉本懶雲(福岡縣廳職員)
- 武藤平学(福岡縣廳職員)
- 奈須均(福岡県庁職員)
- 熊谷又七(福岡県庁職員)
- 古野德三郎(印刷業者)
- 牟田口重藏(印刷業者)
- 梅田義信(橫濱市長)
- 海賀直常(初代警守課長兼興業課長)
- 石黑磐
- 矢口定親
- 田代離三
- 大草孝暢
- 廉澤鐵郎
- 小森澤長政
- 恒屋盛服
- 鈴木慧淳
- 林正明
- 横山孫一郎
- 都築經二郎
- 朽木綱一
- 吉田晩稼
- 有馬純行
- 海賀直常
- 末廣熊五郎
- 武藤平学
- 末弘直哉
- 矢野義徹
- 本多晋
- 田代離三
- 星野重次郎
- 丸山孝一郎
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